ぱややん日記(雑記)

日々のあらあらまあまあなしでかしことを過去も含めて書きつづり中。誤字脱字の多さはお見逃しあれ〜。後日コッソリ直したりしています。

出て来てたが

 やっと炬燵を片付けたました。つい最近まで電源ONする恐怖の寒がり人生。一年間で炬燵が出ていない時期の方が短いみたいです。
 炬燵布団等を片付ける時に、掃除機も掛けたはずの床に、謎の小片発見。ああ、これ、いつぞや映画館で行方不明で探しまくった入場券の半券(イベントの応募に半券が必要で探しまくった)。どこから出て来たか本当に不明。神隠しの反対バージョン!? 
がしかし真に出て来てほしい物は出て来ない。数年前に買ったユニクロの帽子。それが一昨年からいつしか見つからないので去年買った帽子も今年行方不明で、今日も昨日も自転車外出時に灼熱の日差しにうんざり。近所のスーパーで良さげな帽子を探してみたのに、いやどこかにきっとあるはずと、なぜか無駄なお菓子は買うのに帽子は買わずに、帰宅して、押し入れを大捜索。見つからないし、なぜかNO冷房で探して暑くばてる。只今冷房にひんやり中。大捜索でちらかしたその後の始末をしたくなくて現実逃避中ともいいます。

繰り返さるる。ネタの使い回しではありません

「裏表への開き直り」

 朔日は朝から外出。帰宅途中の電車の中で、やっぱりこのTシャツは首回りがきついなあと襟廻りを触ってみたら本来有るべきはずのないタグが前側にあるのに気が付く。「あら、また、また、またまた…何度目かのこの裏表問題、でも、もう家に帰るだけだから、このままでOK」と、隣の席に座る友人に発見→動揺→諦観を悟られないように過ごす。(恥を話したがる人生ですが珍しく黙する。だって直した方が良いよと言われるから)
 帰宅後、そのまま着替えず過ごしていたら、一見した母、曰く「そのTシャツ、なにか様子が変ではない?」と鋭い指摘。素直に前後ろ逆に着ていたことを告白。部屋着に着替えて一件落着。

「物欲の果て」
 朝から外出。目的地へ行く途中で、我が愛しの柑橘類の中でもトップ5の「ブンタン」のお仲間果物を販売している出店を発見、我歓喜で「美味しいのは重みがある果実よ」と店員さんのアドバイスの重めの三つ購入(東京ではブンタンあまり見かけないのでもっといっぱい買いたかった)。
 書店で絵本の講演会+サイン会に参加して、絵本を購入。同じ作家先生の別の本も購入。思ったより時間がかかり、途中帰宅予定を諦める。
 急ぎ足で駅に向かう途中、東京都の水道局のPRイベントの近くを通り、なにやら配っていると、つい並んでアンケートやらクイズに答えて、缶バッチやボールペン、水道水の試飲、PR冊子を貰う。
 取り置きしておいた本屋さんに本を引き取りに。平凡社ライブラリー(しかも集めの)五冊+古本一冊購入。
 時間がないので帰宅(荷物を置きに)を断念してライブ開場にGO。テーブルのないライブ開場で、コップを持つのが邪魔でサワー1杯をわりと素早く飲んでみる。
酔わない自分に酔う(酒に強くなったわ気分満喫)→あくびとともに吐き気先生到来。
がおりしもライブはナウい今時な若人の手で、ストリーミング中継していて、広くない会場で、トイレで吐いたらその音も筒抜けでそうで、吐くのは絶対阻止で、吐き気とあくびに地味に闘いながらライブ観賞。
 無事中座することなく、聴き終わり、帰路の途中で酔いに良いというグレープフルーツジュースを買いにコンビニに寄り道。が、500mlの大きいサイズのはないので、同サイズのオレンジジュースを買うが、飲み損ねて持ち帰る。
つまり、ボンタン3つと絵本と本を7冊と水道局のPRグッツとオレンジジュースという重い荷物によれよれと無事帰宅。
 荷物が重くて辛かった、どうしてなのかしらと反省するが、「馬鹿だから」といつもの救いにならない解答しか導き出せない夜の悶々。(これもまたいつものこと)

 

ひんやりしっとり

頂いたクッキーを食べようと、袋から取り出そうとした手にしっとり冷たい感触。
梅干しでした。

 同じ日に、冷蔵庫に入れてから食べると良いですというクッキーを頂いていて、混同。両方冷蔵庫に入れていて判別不能だったようです。

炭水化物のざらついた感触を予想していたので、冷蔵庫で冷やしていた梅干しの果肉の感触はぬるっと冷たく。ああ吃驚でした。


クッキーは美味しく頂きました。

今、梅干しも。



↓可愛い袋に入った梅干しだったんです。見た目もソフトクッキーかなと。

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通常営業中(グタグタぶりをお楽しみください)

友人の三味線の発表会に自転車でゴー。開演10時で、最初から聴かなくてよいのかしら、というか起きた時間的に開演時間にはとても間に合わない。事前に貰ったプログラムでは五人目位の出番だし、多分出番には間に合う。急いで駆けつけるべし。
 で、会場着いたら、出番は昼頃と分かり、よし、来る途中に調達できなかった差し入れを買いに行くべしと、頼みのグーグルマップのご神託を伺うとすると、警備員さんに心配されて(不審者に見えた?)声をかけられたので、ビルの外に退散。やはりお花、いやお酒が好きだから祝い酒?悩み悩むも、そとそも、この地はオフィス街、日曜日はお花屋、酒屋は軒並み営業外。むむむ、迷い迷って、酒屋に決めて家から来た未知の近くの街の酒屋を目指してゴー。
 自転車で向かった一軒目の酒屋はシャッター閉じている。よし、次と向かった2軒目も明らかにお休みな様子。三軒目は…近くの酒屋は休みばかりみたい。(近くに知っていた酒屋はあれど日曜日は昼から営業で、家から来る途中にすでに寄っていて営業時間外の無情に涙していた)。
 酒屋探し断念。花屋も開いているのか?と心配になり、日曜日も開いているだろう洋菓子屋に方向転換。確か評判良いお店が有ったはず。と自転車で向かうと、無事営業中。が、店内で恐怖の優柔不断に。友達は甘いものをたべるのだろうか? で店内商品を舐り眺めて、ゼリーなら良いかしらとお店の人気商品の一つでもあるゼリーの可愛いバッケージセットを選ぶ。
 ゼリーの組み合わせは自由に選べて、店員さんにおすすめを聞く。「白桃と巨峰です」と言われて白桃とマンゴーを選ぶが、途中でやはりマンゴー→巨峰に変えて貰う面倒な客ぶりを発揮。
 無事買い物終了、で、気が抜けて今日は終了モードに。
いやいやのんびりしていたら出番始まっちゃうと自転車をとばして会場に戻り、友達の素敵な演奏&お着物姿をうっとり鑑賞。
 友人にはゼリーをわたせたのですが、お菓子でなくてやはり酒かお花が良かったなとグダグダ考えながら帰宅。
 家に戻り、昼ご飯を食べてグタグタ。いかん、お稽古に遅れると慌てて外出。ヨレヨレと習い事にいそしみ、よろよろと帰宅。夜ご飯をもりもり食べ、よしもう後は寝るまで部屋でグダグダ三昧するべしと、パソコンを見たらば、あらま、予約していた詩の読書会の主催者から、「今日は欠席ですか」とメッセージが来ていたのを発見して、お詫び&途中参加大丈夫とのことで、急ぎ家から飛び出し電車でゴー。
とても楽しみにしていた会なのに半分聞き損ね、な上に、ベランダのサッシを締めたかどうだか記憶不鮮明なのが気にかかりまくりな愚か者。(楽しみなイベントを忘れていた案件な悪夢再び、けしてネタの使いまわしではありません)
二次会も断念して急ぎ帰宅して、サッシがしまっていたのに安堵。
本当にグダらないぱややん者のダメダメ日記をお許しください。

名前と私

大昔に所属していた楽器の同好会が改めて名前を決めることになったとき、「香音」(アンコール曲でパッヘルベルのカノンを良く演奏していたので)という案を言ったが、みんなに意見は無かっとごとくスルーされたのは、今考えても凄く妥当なことだったと自覚はある。(子どもがいたら変な名前にしていたと思うのでいなくて幸い?)

現在LINEを使っていて、セキュリティの観点から本名じゃない方がいいとどこかのネットで読んで、使っているアカウント名は「裏山杉子(仮名)」みたいな名前で、身近な人からはどんな名付けセンスだと好評のもよう。
 やかましいが個別には記憶されない非モテモブカテゴリが自慢の我が人生、参加している某サークル活動仲間とのLINEメッセージのやりとりで、メンバーの一人から「裏山杉子(仮名)さん、ありがとうございます」と裏山が本名だと思われたりするのもうきうき案件。(その後流石に違うと気が付かれたか他の人から指摘があったのか、正しい名前で呼ばれるようになりちょっとがっかり中)

 そんなぱややん者は、漢字は違えどクラスに3人以上はいるようなとてもありふれ系の名前である。学生時代はああ無情というか学校内の当たり前ルール(?)で、ぱややん者はあだ名で呼ばれ、そのままの名前で呼ばれのは、威力か魅力溢れる同じ名前さんであった(クラス内で同じ呼び名がいるのは不便だったせいみたい? 別に悲しいとも思わず当然のことで認識)。中学生の時のあだ名は自分か友達か誰が考えついたのかすっかり忘れたが変わった音感で、気に入っていて、大学時代も「このあだ名で呼んでね」と愛用していた。
 が、学校という環境から離れ、立派ではないけれども一応社会人になってみたら、その変なあだ名ではちょっと恥ずかしいかもということに気が付き、あだ名へのこだわりも消えて、あだなで呼んでねということもやめて、皆様が呼びたい名前にお任せする方式で落ち着く。SNSでは自慢の妙な名付けセンス満開な名前を楽しく活用。

 最近の悩みは、英会話講座に通っていて、授業中には名前を呼びあう必要があることである。ちょっと前の講座では、どうせ同じ名前はいるからと「KEROKO」という謎のあだ名で名札を作るが、「あらまケロコさんなのね」と優しいご年配の受講生仲間に感心(?)されたり、英語圏出身の先生はどう思っているのだろうかとくだらなく気がかりになっていて名札をあまり机の上に置かないようになっていた。

 今年度から新しいクラスで受講することになり、新しい名札の用紙が配られ、やはり「MY name is KEROKO」では流石に痛過ぎるのではないかと反省して、本名にすることに決めた。
が、我がありふれた名前は、クラスメートにいることが判明。しかもその方は前年度のクラスからの持ち越し組で顔なじみの受講生仲間が多いみたい。ここで新参者のモブカテゴリのぱややん者が同じ名前では、ちょっとご迷惑かしらと、今回も「Keroko」を使うか只今葛藤中。

 同じ名前のクラスメートさんは初回はお休みで、別の方から、「彼女はタイ語ができるのよ」と聞き、タイ語が話せる同じ名前さんの存在にウキウキしていたが、実際はインドネシア語が話せるそうで、タイ語スキルまで一緒という偶然は流石になかったのがちょっと残念。
 ミーハー人生、英語圏の小説家の先生の講演会に参加し、サインを貰おうと並んでいる前の方も同じ名前と判明。「あらま、同じ名前ですね、うふふ」とうれしさを分かちあう。ありふれた名前の楽しさもあるものである。
 自分がサインを貰う番になり、作家の先生に名前を質問されて(本に名前を入れて頂けるため)、「My name is 杉子(仮名) too」と(前の人と同じよ)と言ったつもりが、作家の先生に「OH, Sugiko two(2)」と杉子(仮名)2と言っていると思われたらしく、アポストロフィーな存在であることを味わうことに。
 英会話の名札もアポストロフィーを付けるかとも考え中。

尚、名字の方も珍しくないけれども、カタカナ表記の場合、似ている別の字に勘違いをされるため(「ン」「ソ」みたいな類似)、全然違った名字で呼ばれることが度々ある。病院やバスツアーやお店の予約待ちの時など。
が、別にどうでもいいことなので、間違った名前で呼ばれても「はーい」と爽やかに返事をして、訂正することなく、間違った名前を甘受することにしている。 
 (以前の知り合いの九州男児は、よくある名字ながらも、漢字のバージョンがいくつかあり、間違った漢字で届いたメールがあるとよく激怒していたので、温厚な人のようなのに自分の本名にこだわりがあるんだと感心。が、もしかして普通の人は名前を間違えられると怒りたくなるのかしら??と名前についていろいろ考え中)

名前というと、自分の名前ではないけれども、学生時代、担任の先生が署名を集めていて、たまたま判子を持っていた田中さんがいて、同じクラスの別の田中さんと田中さん(三人いた)が呼ばれて、「判子があるからあなたたちも署名してね」という先生のムチャぶりを思い出す。
 某職場で、退職してしまった田中さんの判子が必要になった担当の人がいて、別の課に相談に行ったら、たまたま通りかかった中田さんが、「これを使って」と自分の判子を貸してくれて、「中田」印は上下逆さにして押すと印字は「田中」になる~!!と居合わせたみんなで凄い天才的な思いつきと吃驚した思い出もある。が、その後、担当者は、やっぱりちょっと怪しい仕上りで大丈夫かなと相当心配していたが、書類的にはどうにかなったなんてちょっとやばい話を思い出す。

おまえもな

 昨日は某映画の上映会に参加。知る人ぞ知る腰砕け愉快爽快映画で、上映中ずっと笑い声があちらこちらから自然発生、良い映画を観られてラッキーだったのですがちょっと不満が。というのもぱややん者の後ろの席にひときわ大きな笑い声&独り言をずっと発する人がいて、その人の調子がちょっと大げさでやや興ざめに。
 で、思い出されたのは大昔、映画を一緒に観に行った姉が帰宅後ぷりぷり怒っていて、「おまえとは二度と映画を一緒に観にいかない」と言われたこと。故山田洋次監督の『キネマの天地』は涙あり、笑いありの良い映画だったのですが、「ぱややん者はずっと、大きな声で泣き、笑い、うるさかった」と姉にとっては最悪映画鑑賞に。あれからうん十年たった今になって姉の気持ちが分かりました。にぶちんを許して~。
 また、あるとき「映画館でハンバーガーみたいな臭いの強い食べ物を食べる人は最低だ」という話をネットのどこかで読み、衝撃を受ける。鼻の悪い我が人生、ハンバーガー食べちゃいけないとは思いもよらず。外食の代表選手ともいえるので映画館で食べるのは許して欲しいなと思う。

 が、しかし、人が多く集まる場所での許容範囲の問題は難しい。
 あるとき無料の講演会で残りの席が少なく、立ち見がでそうな状況でぱややん者の左隣の席を確保した人は鞄だけ残して離席。スタッフの人に、「そこ座って良いですか?」と質問されても「別の人の荷物なんですが・・・」とびびりながら答えるしかできない。きっと多くの人にあいつ荷物置いていると思われていそうでいやんな状況。講演会が始まっても左隣の人は戻ってこないで、だいぶん経ってから鞄を回収しに来て、何のために席を確保???状態。それで空いた席に、遅れて来た人が座った。が、その方タバコの愛好者らしく、タバコの臭いが全身から醸し出されていて、ぱややん者の右隣の人が嫌な顔してぱややん者の顔越しにその人をにらんで、ハンカチで鼻を押さえて、不快感溢れるる感じに。そうするうちに、左隣のからなにやら音が。ガサガサ→折りたたみ傘を鞄にしまう。ガサガサ→講演会のチラシを鞄から探して出す。鞄をガサガサ→薬を探して出す。鞄をガサガサ→水を探して出す。
 ちなみに講演会はドイツ語の作家先生の朗読会で、ドイツ語の朗読される中、日本語の訳は前のスクリーンを観てくださいということだったのですが、近眼乱視のぱややん者はスクリーンの文字が全然見えなくて、ほぼ理解できないドイツ語に耳をすませている状態で(=気が散っている)、右隣の人のがさがさは良い効果音? いろいろともう諦めがついた状態もあるものです。(右隣の人はドイツ語聴きながらメモを取られていたようなので、さぞやいらいらされていのではないのかしら)

 ジンクスではないのですが、映画や音楽でも必ず近くにこのコンビニ袋をガサガサ鳴らす人がいるような気がするのもぱややん者の運命と諦め中。
 が、しかし、ぱややん者も以前書いたように、眠らないように強ミントキャンディーをこっそり口に含んでいたり空腹で腹を盛大にグーグー鳴らしたりしたこともあるので、ミント嫌いな人や音に敏感な方にご迷惑をかけているようなので、まあもう多くの人がいる状況はある程度はお互い様、が基本はやはり人様に迷惑をかけないようにするが大切と思うこの頃でした。


おとめごころはかれません。というかもともと大して。。。

未だにこたつを愛用中&花粉症を継続中な移ろいゆく季節に取り残されまくりのぱややん者です。

先日母にまじまじとお腹を見つめられました。
ぱややん「何?」
母「いやあ、婦人科系の病気はお腹がでっぱるっていうから。あんた大丈夫よね?」
ぱややん「太っただけよ」
母「それならよかった」
ぱややん「いや、太ったのはよくないのでは」
母「大丈夫、大丈夫」
 枯れても心は乙女の自称枯葉乙女、体型の変化は恥ずかし案件なのに、注目されたのに結局スルーされて心中複雑。( 実はちょっと病気の影響もあるかも。が心配されるといけないので秘密中)

体型といえば、若い頃、バイト先の上司が、仕事の後の、打ち上げか食事会か何かの、大人数がいる中で「おい、ぱややん、胸のサイズは×××だろう」と言われ、吃驚仰天。というのもサイズもカップもドンぴしゃだったから。だいぶん昔なので状況はうろ覚え、が、前後の脈絡は何もなく、急に思い付いたからか言われたみたいであまりの不条理的かつ正確なサイズ感覚に忘れられない思い出に。(サイズに悩む繊細さは持ちいていなく、辛い体験ではないのでご心配不要です)

 そういえば、知り合いの知り合いに大柄のアメリカ人かオーストラリア人がいて、ずいぶん昔ですが、その人とみんなで一緒に出かけた先の関東圏の街はお祭り中。イベントTシャツを着た地元の若い男の人がいて、ちょっと離れたところから手招きするのでみんなで行ってみたら「You are big」と興奮した嬉しそうな顔で一言。わざわざ人を呼び寄せて何を言いたかったのか? 本当に謎な事案でした。悪気はなく、無邪気に思ったままを述べたかった??
 
そして、上記のバイトを辞める間際に、別の部署でも顔見知りでわりと会話がはずんでいた男性にお別れの挨拶をしんみりと述べたとき、「本当、君も胸があればねえ・・・」と言われる。
 胸のサイズが違っていたらもっと親密になったとかいう話だったようですが(推測)、それって良い話なのか悪い話なのかどちらなのか未だによくわかりません。もう多分会わないだろう別れの時にふさわしい会話かなんだろうか等いろ思うところありな経験からも、男性はサイズについての発言は、本気で悪意はないようです。会話相手がどう思うかということは考えず、率直な感想的発言は許されると思う精神構造は謎です。

そういえば、知人の女性は、昔、知り合いの男性から(恋人ではない)からお土産に貰ったベトナムアオザイはサイズがぴったりだったそうです。
 彼女は一般的なスタイルではないし、アオザイは数多くの箇所から採寸して、オーダーメイドで作るみたいなので、サイズをばっちりどうしてわかったのかが本当に謎。というか怖い話として、脳内に記憶中。

尚、都合でチャイナドレスを着る必要があり、お店に買いに行ったら、オーナー(男性)から親切心100%で「ステージ衣装なら胸にいっぱい詰めるといい、うちの看板猫を貸そうか」と言われたこともあり。(人当たりの良いすけべ心は絶対ない方で他意はなさそうです)
 そのアドバイスを有り難く拝くぱややん者は己のサイズにコンプレックスはないのでご安心ください。(別にどうでもいいじゃん派)

不思議なのが、「太ったんで」というと多くの女性の皆さんからはなぜかスルーがちされること。中には本気で怒る人もいて、体重計の数値的な結果からの発言だったので、なんで怒る人がいるのかがとても不思議でした。(ぱややん者は痩せて見えるタイプなので、嫌みに思うか自慢に思われるのか??? または何の話題も自分の中心の回答をする人がいるので、自分の体重話になっていると思って怒るのかしら? )

 改めて、文字にしてみると、人は体型に関して、それぞれの判断基準、デリカシーの温度差、コンプレックスもあるのだなあと今更気が付くぱややんものでした。
 体型に関して別になんでもいいじゃんというタイプなので、デリケートな女子トークには一生仲間入りができないようです。
 が、デリカシーの問題で、体型に関して、他人にことをどうこう言うのはよくないとは常に考え中です。(一般常識でもそうあるべきと思っております)

 

5月26ちょっと修正