ぱややん日記(雑記)

日々のあらあらまあまあなしでかしことを過去も含めて書きつづり中。誤字脱字の多さはお見逃しあれ〜。後日コッソリ直したりしています。

不在の存在感

 先日も述べた通り、パイナップルがかなり好き。小学生の頃、近所のパイナップルの木に早く実がならないかと期待していたが、永遠に実ることがなかったのは蘇鉄の木だからで、幹がパイナップルに似た感じからの勘違い。その後歴史の授業で厳しい年貢の取立てたに食べるものなくなり蘇鉄を食べた沖縄の人の話に涙。空腹に毒抜きを待てず食べてお亡くなりになった方もいたそうで、その植木の蘇鉄を見る度なんともいえぬ気分に。
 パイン飴も、ピニャコラーダも好き。そして今や不人気で絶滅寸前メニューの酢豚withパイナップルも大好き。友だちお薦めの美味しい中華料理屋さんで、メニューに見つけ喜び注文して出てきたのは「すみません、今日はパイナップル切らしてました」とパイナップル抜きの只の酢豚。ガッカリマイハート。だって実は豚肉があまり好きでなく、パイナップルが無ければ別の料理を注文したのに〜。
が、その後、居酒屋でクレソンサラダを注文したのに「クレソンを切らしてしまい」とクレソン抜きのクレソンサラダを出されたことがある。皆が程よく酔っ払いで、「もう用意されているなら、まあいいよ」と受け取ってしまったので不満ながらも文句を言えず。
 これらのメインが不在の料理はお店側の明らかな原因だが、メロンソーダにアイスクリーム、タンメンにわんたんが浮かんでいないのは、お店のせいではなく、まだ外食に慣れていなかったうら若きぱややんの勘違いのなせる技。ああ、タンメンは好物になったが、アイスのないし、メロン味も一つもしないメロンソーダは未だに恨み中。
タコライスの蛸の不在も初めての時は衝撃的もまあ今ではやや好きな料理に。

 困ったのは、たまに香りのアレルギーがあり、部屋に置く型、タンスに入れる型防虫剤を無香タイプにしたら、なんだかとっても体調不良に。香料がない分、薬効成分がより強いのか、相性の問題なのか不明。某メーカーが一時期、蛙型の防虫剤を出した際、使い始めて直ぐ断念、が、優しい知人に無理無理?渡して、使い終わった蛙の容器だけ回収なんて迷惑な話。

わりと撮影好き派。不在の写真のマイベストは、友だちが乗り遅れた飛行機の座席シート写真。友達は強者で新幹線にも乗り遅れた経験あり。
 が、私も特急に乗り遅れたことあり。が、幸か不幸か大雨の日で特急が遅れて、後からの普通電車で無事合流。が、その後も遅延しまくり目的地に予定より遅れて到着。1泊2日な帰りの特急も大遅延。当時遅れた場合の特急券の払い戻しを知らず大分後から知って無念。
 実は当日旅行中ならPHSは不要だろうと家に放置、心配する友達からの電話で、PHSが鳴ったり光ったりにオロオロした母。帰宅後は母から「旅こそ電話を持ち歩くように」と適切というか常識的指導あり。不在のバカ娘の所業を今更ながらお詫びな心境。
 

弱り目にパイナップル、カレーのご飯にもしてやられ…

 頭痛の思い出は、小学生の冬、一週間以上続いた頭痛に閉口、が、なんとビックリ、お正月にお酒大好き母方の爺ちゃんに勧められて飲んだお屠蘇ならぬ日本酒がいい感じに反応して、頭痛霧散な幸せな思い出に。
 長じて再び頭痛なある時、そうよ酒よとグビッと飲んだが、勿論頭痛は治らず。
 以降、痛くなったら頭痛薬、飲み過ぎて只今胃痛&胃薬ともお友達中。
が、油断ばかりのぱややんは、普通に食事しまくり。先週の土曜日は、習い事の先生提供な有り難きおやつタイムのデザートを食べたら猛烈に腹痛。ややや、許すまじは皆より多く食べたカットパイナップルへのマイ食欲。練習後の打ち上げも断念して帰宅。ネット情報の牛乳を飲むべしを試したら、あらま、スパシーボ効果かもしれないが腹痛おさまる。パイナップルの消化酵素対策には乳製品がお薦めよん。

 翌日、朝から腹痛がちょっと残るも外出予定を強行。ライブイベントは昔ながらの素敵日本家屋な会場で、カキ氷にマッサージ、焼き菓子、ホットドッグなどなどオシャレカフェ他いろいろお店の出店有り。炭水化物大好きぱややんは、友だちも選んだ二食盛カレーを選択。
 暑い日には辛いスパイシー料理が最高だぜ!! なんて結果は、ご推察の通り弱った胃にはキリキリ滲みるぜ〜。オマケにそのお店の人ったら計量カップ忘れて、水の量を適当で炊いたらしくご飯がハードに硬くて、胃にはダブルパンチ。ああカレーは飲み物ではなかった。頭痛も仲良く発生して会場で寝込むヘッポコな結果に。
 だってカレーを食べたかったな欲望に負けたその日の帰り道、思わぬ渋滞で、トイレを極限まで我慢な目にもあう。ああ、ドライブ中やかましく話すぱややんを黙らすにはトイレのピンチがお薦め。
なんて本当につまらないネタですみません。

先生と呼ばないで その2というか渋谷の思い出

昨日書こうとしていて、うっかり忘れたのは、だいぶん昔の渋谷での出来事。飲み会の待ち合わせに遅れる気味で井の頭通りを急ぎ歩くぱややん者を呼び止めるはちゃらい兄さん。
「美容院の者ですが、メークに興味はないですか?」
 夜の渋谷なんて綺麗&スタイリッシュ&うら若き乙女達がそこら中にいくらでも闊歩しているのに、ノーメーク&ノーヒール&適当な服装&うら若くないぱややんをまっとうな美容室の関係者が呼び止めるなんてことは絶対無い。
「先生ですよね?ちょっとだけ、そこの美容室で・・・」と陽気に話しかけるちゃらい兄さんからブラウスにスカートな装いからか教職と判断されたみたい。
「急いでいるので」と礼儀正しく通り過ぎようとしたら、ちゃらい兄さんはなんと私の肩を掴んで、話を続ける。
「用事があるので~」と自慢の逃げ足発揮でぱややんは坂道をすたこらと走る。耳に聞こえるのは「先生ったら、先生~、先生~」と多分半分面白がって大声で呼び続けるちゃらい兄さんの声。
 都会の街は怖い。あのまま美容室に行ったらどうなっていたのかしらと今でも不思議というか殺意。化粧品を売りつけるとかの詐欺だったんだろうなあ。

 渋谷の大声というと、思い出すのは、本当にうら若き乙女の頃、音楽ライブで何か良いこと有って、その日来れなかったライブ友達に電話で報告。当時は携帯なんてなくて、公衆電話を利用。興奮した通話が終わって公衆電話ボックスから出て来たぱややんを待っていたその日一緒だった友人が語るには、「電話ボックスのドアを開けたままのあんたの大声周囲に筒抜けだったよ。拝む人が後ろから近づいて「幸せそうですね」と呟かれていたよ」。電話ボックスのドアは記憶曖昧もおそらくその日一緒だった友人に気を遣って開けていたのかな??
 当時繁華街には、「幸せを祈らせてください」といって通行人に近づいてきて、祈ってくれる謎の、多分新興宗教の布教?の人たちが多くいて、なんだか彼らにあきれられたのか、ほめられたのか?謎の思い出。

 

 

先生と呼ばないで

 先生と呼ばれることが度々あった。外国の方と話そう会に顔を出していた頃、参加者の外国人のみなさんは日本人参加者を日本語の先生と思っていたらしく、「先生」と呼ばれ、日本語学校の宿題や、文法の説明となると難しい日本語の質問をされて、「先生ではないのよ、ごめんなさい」な申し訳なさ感でいっぱいになり参加しづらくなって、フェードアウトな思い出。
 友達の甥っ子の家庭教師をしていたことがあり、当時は小学生低学年だった甥っ子さんと、大人になって再会。当時のまま「○○(なまえ)先生」と呼ばれて、なんだか照れくさいやら、成長してすっかり大人で素敵ハンサムになった様子に涙腺ゆるゆる。
 が、なにかしら役に立つかと、大学で教職課程を履修していたので、先生と呼ばれて正解な時期もあった。その名前は教育実習。そう、周囲の皆が口を揃えて、あんたのその才覚で教育実習‼と吃驚される。実際のところは、皆様のご推察の通り。

 実習先は卒業した母校で科目は国語。嫌だったろうけど断ることはできなかった母校の善処(苦慮)で教えられる方·教える方も被害が少なかろう中学1年生に配属(友だちに高校生だったら無視される、まだしも、いじめられちゃうわよと心配されていたので、母校の配慮に深く感謝)。

 ぱややんティーチャー奮闘記というかトホホ始末記。初日から指導担当の先生に怒られたのは黒板の字が汚いこと。漢字の書き順、書き間違えは、生徒への悪影響が心配と呆れられる。僕という字の「美」の部分に余計な縦棒一本あるかと思い込んでいた。担当学級の生徒の名前を覚え切れず、朗読の指名したら、その学生さん困惑。「先生、私の顔を見ているけど、名前が違いますよ」。ぱややん先生ったら、座席表の三列目の生徒の名前を読上げたが、正解の生徒さんは二列目に座っていたのであった。
 ああ、こんな先生の授業で、生徒さんは大丈夫かしら? と心配の皆様ご安心ください。要領の良い生徒さんは熟睡タイムに。ああ、荒れた教室にならずにすんで本当によかった。
 授業が終わった後は掃除も指導。が、生徒のみなさん適当に手を抜いて、注意しても聞く耳持たずで、掃き&拭き掃除に孤軍奮闘。意外に吃驚したのが、期間中に保護者面談が有って、担任どころか教師でもない大学生なのに、親御さんからの真剣な相談を聞く体験も。親御さんの子どもを思う真摯な気持ちに申し訳なさ1000%。ちょっと嬉しい&恥ずしなのは、校内行事の合唱祭があって、先生部門でわしらなんちゃって先生達も一緒にステージ参加で歌うはめに。

 2週間の実習はあっという間に終了。最後の挨拶で、なんとなくなじんだクラスの生徒さん達とのお別れにしんみり。「先生恋人いなきゃ紹介しようか」なんて親切な提案する生徒さんもいて良い感じに盛り上がり。

「最後に写真をみんなで撮ってもいいかしら」と言ってカメラを控え室に取りに走る。みんなはその間、机と席を寄せて、全員集合な準備をして待ってくれている。教室に戻り、カメラを構えたら、あらま、なんということか、カメラのフィルムが入ってなかった。(当時はフィルムカメラの時代でした)。真実の告白タイム、学生さん達は、まあ笑って許してくれたが、一挙総気が抜け、あっさり解散に。

 同時期の教育実習生仲間は10名弱いて、みんな熱烈教師志望ではなく一応教職資格を取るだけな中、一人だけ「授業を教えるのが本当に楽しい。絶対教師になる」と天職を悟った仲間がいてちょっとうらやましかった。
 因みに私は教師は絶対無理無理と悟る。が、指導の先生から、「板書(黒板書き)がとにかく汚いから駄目。がなんか不思議な雰囲気があって、意外と良い感じかも」とちょっとだけほめ?言葉を頂く。
 一応私立学校の教員採用試験も受け(母校的に教育実習に来るのに本気の教師志望でない生徒は困るということで)、なんと都内の某私立校から筆記試験&採用面接のお声がかかり、トライするももちろん不採用。

 指導したいクラブ活動なんて質問もあり、文化系の非積極的クラブ活動しかしたことないぱややんは頭抱えた記憶あり。(現在とは違うと思うが、当時の東京の私立の教員採用試験は筆記試験を受けると全員に成績評定がついて、教師を採用したい学校はそのリストを見て、個別に候補者を呼び出し面接等する方法)
 教育実習後のしばらくは母校の近くを通ったり、街で母校の制服を着た学生さんを見る度に、元教え子にすれ違ったらどうしようと、なぜかびくびくしていた小心者のぱややん也。
 当時の関係者、母校&指導の先生、変な授業を受けるはめになった生徒さんに深く感謝とお詫びの心境は今でも継続中。

 

*推敲不足過ぎて、アチコチ修正をお許しください

 

憧れのパンチの思い出

 犬も好き。が愛は片思い。優しそうな飼い主のご許可を頂き、お散歩中わんこをなでさせて貰うことも度々あるが、残念ながら愛は伝わらず撫でても犬に喜ばれず、臭を一通り嗅がれて興味を失ったら離れてしまう。ああ、わんこ。

 実は子どもの頃はとても犬が怖かった。噛まれるのではないかと思って、机の上とかに跳び乗ってブルブルビビリまくりなことも。吠えるだけの近所の友達の家のマルチーズも苦手だった。がわりと大きくなった頃、自転車に乗っていたら,突然リードも飼い主もいないわんこが登場して自転車の横を併走。何事!?と自転車を降りたらなんだかとっても人なつっこい感じ。が、どうしたらいいのか分からない。出かける途中の私と飼い主のいないわんこ。悩んでいたら,走り去ってしまったわんこ。実は行方不明犬だったらしく、電柱に行方を探すポスターを見かけ、ペット探偵と飼い主に電話で報告したあの日から、わんこ嫌いはすっかり克服。動く物が好きで追いかけて逃げてしまったというあのわんこが無事に飼い主の元に戻れたかを祈るばかり。

 このような落ちのない話をあえて人にする悪い人とぱややんの名付け親の友人が言うが世の中解決済みでないもやもやも愉しむのも一興?


 と犬の話で始まったのに実は書きたかったのは猫の話。猫は昔から好きだった。お隣の家の飼い猫は縞猫、そのまたお隣の家は代々黒猫派で我が家の近所には猫がいつもうろうろ闊歩していた。小学生低学年ぐらいのある夏の夜、家の前で隣の縞猫と遭遇、近寄ってくる感じなので座ってなでなでしていたら、縞猫は私の体の周りをぐるぐる回りはじめる。「なにごと??」ととまどう私に、縞猫は急に私に向かって大ジャンプ。「ひえええええええ」と逃げたのも恐怖の思い出ながら猫が苦手にならないのは不思議。飼い猫がいないながらも、猫への愛は募り、
あこがれその1:喉のごろごろ音を聞く→友人の家のフレンドリーな猫で体験済み。
その2:肉球を触る→友人の家のフレンドリーな猫で体験済みというか友人が押さえていてくれたので触れた。
その3:猫パンチ。→これはスペシャルに2回に体験。
1)タイで友達の友達(日本人)が働く観光コテージに訪問。なぜか普通に宿泊でなく、友人が寝泊まりしているコテージを貸してくれて、そのベッドで就寝(友達カップルは外寝)。と、その夜中の3時に腹に違和感というかケモノ様ご降臨。布団の上から足でどすどす踏まれる。なんじゃと渋々起きると、友人猫様はドアに近づき「にゃ~ん」と鳴いてドアをがりがり。「ああ、外出がしたいのか?」とドアを開けたら速攻外出。

 翌朝飼い主である友達の友達に聞いたら、その猫は朝のお出かけがいつもの習慣で、臨時の宿泊者の私達はそんなこと知らず、ドアを明け方に開けないためお怒りの猫パンチだったもよう。
2)タイで別の友達(日本人)の家に宿泊。朝になってもグースカ寝ている私を置いて友人は仕事に出勤済み。前夜、鍵は内側で押してドアを閉めれば施錠されるからと言われていたが、ドアが途中で何かに引っかかりきちんと閉まらない。無理無理ドアを閉めようとしてもやかましい騒音は立つが閉まらない。すると 友人宅の猫様が不審者な私の行動に警戒モードに入り、ドアの前で臨戦の猫パンチの連打。(が直接パンチはされなかった)

思わぬ憧れの猫パンチに感動、な訳はなく、おびえさせてしまって本当に申し訳ないし、別の島に移動な飛行機の移動もあるのでいつまでもこのままではまずいので、ドアがしまらないまま,友人の会社(近所)に急ぎ向かって、鍵と猫様への不始末をご報告とお詫び。(友人はあらまあと急ぎ家に戻って無事盗難等はなかったそうで一安心)

 残す憧れは猫様と一緒の布団で添い寝。が猫飼いの友人曰く、乗っかられれば重いし、寝返り打てないしで大変とのこと。がやっぱりうらやましい〜。

がさすがに飼い主でない他人と一緒に寝る猫様はいないので猫様を家にお迎えしない限りこの願いは叶わないもよう。

 

 

 土曜日に学生時代の友人の訃報を聞き、落ち込み中で日記をさぼったのをお許しください。皆様ぜひ乳がん検診はできるだけ頻繁に、そして自分でもしっかりチェックください。

 

*余りに文章ダラダラなのでちょっと修正


 

植物物語1

「手入れや水やりもしないで買ってくるな」と母からの厳命により、我が家での植物に関して発言権ゼロ&新規購入権ゼロのぱややん者ながらも植物は結構好き。
 ある年の夏、勤務先のビルの受付近くにクチナシの花が飾られているので近づきフガフガ甘い香りを満喫(鼻が悪いので密接近する必要あり)。白い花弁の形状をうっとり観賞しながら脳内はベタに渡哲也さんのあの歌が流れ中。翌日、クチナシの近くを通りかかると、植木鉢の下にある黒い点々物質が気になる。近寄ってじっと観察すると推測的中、「はらぺこあおむし」さまがご棲息中。ウォーリーを探せ状態で緑色の葉っぱのかげによく見てみるとあっちこっちに太った緑色の彼ら彼女らが元気にお食事中。
 受付にいるクチナシの持ち主(ビルのオーナーの会社のスタッフの植物大好き)おじさまに伝えたら、「おおおおお」と、鉢にいるはらぺこあおむしを割り箸で摘み上げて悲哀な溜息。そこに農大出身、農家経験&現在絶賛自宅でいろいろ栽培中の別のスタッフおじさまがやってきて、「おおいるねえ~」と素手ではらぺこあおむしを鷲掴み。素手の所業に周囲の野次馬ギャラリー達は総引きまくり。結局わりばしおじ様が防虫スプレーで退治。
ああ、南無南無はらぺこあおむし大虐殺。が我が家のクチナシの鉢も一日で葉っぱを丸坊主にされたことがあるので、虫との共存は難しい。
 で、意外な人間性というか、あおむしを手づかみしないわりばしおじさまの繊細さに吃驚。(失礼ながらもっとがさつなタイプかと勝手に人を判断していたおのれを反省)
 その後も毎年夏にクチナシの花の植木鉢が飾られ、はらぺこあおむしウォッチャーのぱややんがじっくり観察、余計な報告によりはらぺこあおむし達は悲劇を迎える。

その数年後、帰ろうと受付を通りかかると、かなり大きなサボテンチックな植木鉢が飾られているのを発見。真っ赤な大きな蕾を付けた月下美人という植物で数時間待てば咲いた花が見れるらしい。夜の数時間しか咲かない珍しい花でも、待ったら夜の10時を過ぎてしまうので諦めて帰宅。

 翌日出勤する私に、わりばしおじさんが渡してくれたのは咲き終わった月下美人の花弁。「食べれば」ということで、えええええと思いながら、断り切れない小心者ぱややんは家に持ち帰り、ぐぐると、天ぷらやおひたし体験談があり、どうやら本当に食べられるらしいことを確認。が天ぷらなんて面倒なのでおひたし一択で鍋でぐらぐら煮て食べてみる。うむ、味はあるようなないような?とりあえずどの部分が食べれるかわからず茎の方も煮たが、茎は硬くてとても食べれないことだけは確実に判明。

 翌日わりばしおじさんに報告すると「本当に食べたの?」とあきれられ発言。うむむからかわれやすい人生は絶賛続き中。その後また別の咲き終わった花をくれるというのでやっぱり断れず、持ち帰り今度はラップにくるんで電子レンジでチンしてみる。ラップを開けたとたんになんとも甘い良い香りがフワンと充満して素敵。が味は変わらず無味チック。

 その翌年もくれたがさすがに断った。
がそれからまもなくまさかなことにわりばしおじさんは病気で急逝。月下美人の味わいのない味を思い出す度おじさんを思い出して涙。

 

追記。

偶然この日のこの方の偲ぶ会が開催の報を聞き、駆けつける。

靴をめぐる冒険というか、、

自分の鈍感力と周囲の優しさで、自分=普通だと思っていたことが、いやいや普通ではなかったと今更気がつくこと、気づかされることが多々ある。
 鼻声が酷すぎると職場の上司に言われたのは結構ショック、がまあアレルギーなので仕方ない。が、歩き方が実はちょっとおかしくてやや困った事態を招く。
 恐怖はスリッパ。足の蹴り上げがどこか間違っているので踵がない靴は脱げてしまいそうで、スピードがでないし、ぱたぱた音が鳴る。ぱたぱたのろのろ、あああじれったい。しかも我が家では基本裸足で歩いているので、訪問先で途中まで履いていたスリッパを忘れて裸足で歩くことしょっちゅう。帰る時の玄関先でスリッパの不在感ったら凄いのよ。皆様も要注意。スリッパをめぐる悲劇はある日は、片脚に変に力が入って、ロングシュートが決めたっぜ、ってここは講習会の会場で説明係の職員さんが脇にいて、一緒にスリッパが廊下を滑って行く先を注視。あああ拾いに行く時の恥ずかしさったら。
 無念なのは靴屋さん。夏の靴のセール会場は華やかな女性達の歓喜のハンティング場所たるが、踵にストラップが有るタイプ、甲高幅広でヒールが低いの~とおしゃれなサンダル戦線から離脱なアイテムを探すのはぼんくら&根気不足なぱややんにはミッションインポッシブルで、とぼとぼ帰ることが度々。
 冬の靴屋もまたハードルが高い。有る年、デパートで友達のブーツを買うのをぼへっと待っていたら、「せっかくなのであんたも買えば」と言われて、可愛いブーツをいろいろ履いてみたら、あらまなんとおしゃれなブーツは私の太めふくろはぎが収納不能。が友達は脚が細すぎて日本製はどれもぶかぶかで唯一OKな素敵イタリア輸入品を購入。「なんで買わないの?」な質問に答えづらかったあの冬の日。(その後ショートブーツを無事ゲット。また親切な別の友人が太くてもOKなブーツを数足もプレゼントしてくれて冬のブーツスタイルは無事堪能中)

とちょっと靴屋が苦手なぱややんにピンチが海外でやって来る。常夏のタイに旅行中、ぼへっと道を歩いていたらサンダルのストラップがぶち切れる。なんとかホテルにたどりつけたが、明日は帰国日、予備の靴はなし。ホテルでなく靴屋に寄れば良かったが、動揺していたし、タイは超幅狭い靴しかないので、新しい靴を探すのは無理と諦めの悲嘆モードにふて寝する。が、捨てる神様ってば本当にいらっしゃり、なんとホテルのゴミ箱には、先に日本に帰った友達が捨てていったサンダルがまだ残っていた。ちょっとサイズは大きめだったけれども無事日本の自宅までの旅路にゴミだったサンダルは大活躍。ああまだまだ使えるサンダルを捨てた友人に感謝。
 その後も懲りずに旅に予備の靴を持っていくこともなしな人生。まあどうにかなるぜ!!