ぱややん日記(雑記)

日々のあらあらまあまあなしでかしことを過去も含めて書きつづり中

先生と呼ばないで

 先生と呼ばれることが度々あった。外国の方と話そう会に顔を出していた頃、参加者の外国人のみなさんは日本人参加者を日本語の先生と思っていたらしく、「先生」と呼ばれ,宿題や、説明するとなると難しい日本語の質問をされて、「先生ではないのよごめんね」な申し訳なさ感でいっぱいになり参加しづらくなって、フェードアウトな思い出。
 友達の甥っ子の家庭教師をしていたことがあり、当時は小学生低学年だった甥っ子さんと、大人になって再会。当時のまま「○○(なまえ)先生」と呼ばれて、なんだか照れくさいやら、成長してすっかり大人で素敵ハンサムになった様子に涙腺ゆるゆる。
 が、役に立つかと大学で教職課程を履修したので、先生と呼ばれて正解な時期もあった。その名前は教育実習。そう、知っつた人皆が口を揃えて、あんたのその才覚で教育実習‼と吃驚される。その様子は皆様のご推察の通り。

 実習先は卒業した母校で科目は国語。嫌だったろうけど断ることはできなかった母校の善処(苦慮)で教えられる方·教える方も被害が少なかろう中学1年生に配属(友だちに高校生だったら無視されるならまだしもいじめられちゃうわよと心配されていたので、母校の配慮に深く感謝)。

 ぱややんティーチャー奮闘記というかトホホ始末記。初日から指導担当の先生に怒られたのは黒板の字が汚いこと。漢字の書き順、書き間違えは、生徒への悪影響が心配と呆れられる。僕という字の「美」の部分に余計な縦棒一本あるかと思い込んでいた。担当学級の生徒の名前を覚え切れず、朗読の指名したら、その学生さん困惑。「先生、私の顔を見ているけど、名前が違いますよ」。ぱややん先生ったら、座席表の三列目の生徒の名前を読上げたが、正解の生徒さんは二列目に座っていたのであった。ああこんな先生の授業で生徒さんは大丈夫かしらと心配の皆様ご安心ください。要領の良い生徒さんは熟睡タイムに。ああ、荒れた教室にならずにすんで本当によかった。
 授業が終わった後は掃除も指導。が、みんな適当に手を抜いていて注意しても聞く耳持たずで、掃き&拭き掃除に孤軍奮闘。意外に吃驚したのが、期間中に保護者面談が有って、担任どころか教師でもない大学生なのに、親御さんからの真剣な相談を聞く体験も。親御さんの子どもを思う真摯な気持ちに申し訳なさ1000%。ちょっと嬉しい&恥ずしなのは、校内行事の合唱祭があって、先生部門でわしらなんちゃって先生達も一緒にステージ参加で歌うはめに。

 2週間の実習はあっという間に終了。最後の挨拶で、なんとなくなじんだクラスの生徒さん達とのお別れにしんみり。「先生恋人いなきゃ紹介しようか」なんて親切な提案する生徒さんもいて良い感じに盛り上がり。

「最後に写真をみんなで撮ってもいいかしら」と言ってカメラを控え室に取りに走る。みんなはその間、机と席を寄せて、全員集合な準備をして待ってくれている。教室に戻り、カメラを構えたら、あらま、なんということか、カメラのフィルムが入ってなかった。(当時はフィルムカメラの時代でした)。真実の告白タイム、学生さん達は、まあ笑って許してくれたが、一挙総気が抜け、あっさり解散に。

 同時期の教育実習生仲間は10名弱いて、みんな熱烈教師志望ではなく一応教職資格を取るだけな中、一人だけ「授業を教えるのが本当に楽しい。絶対教師になる」と天職を悟った仲間がいてちょっとうらやましかった。
 因みに私は教師は絶対無理無理と悟る。が、指導の先生から、「板書(黒板書き)がとにかく汚いから駄目。がなんか不思議な雰囲気があって、意外と良い感じかも」という豊か褒め言葉を頂く。
 一応私立の教員採用試験も受け(母校的に教育実習に来るのに本気の教師志望でない生徒は困るということで)、なんと都内の某私立校から筆記試験&採用面接のお声がかかり、トライするもももちろん不採用。

 指導したいクラブ活動なんて質問もあり、文化系の非積極的クラブ活動しかしたことないぱややんは頭抱えた記憶あり。(現在とは違うと思うが,当時の東京の私立の教員採用試験は筆記試験を受けると全員に成績評定がついて、教師を採用したい学校はそのリストを見て、個別に候補者を呼び出し面接等する方法)
 教育実習後のしばらくは母校の近くを通ったり、街で母校の制服を着た学生さんを見る度に、元教え子にすれ違ったらどうしようかとなぜかびくびくしていた小心者のぱややん也。
 当時の関係者、母校&指導の先生、変な授業を受けるはめになった生徒さんに深く感謝とお詫びの心境は今でも継続中。


*推敲不足過ぎて、アチコチ修正をお許しください