ぱややん日記(雑記)

日々のあらあらまあまあなしでかしことを過去も含めて書きつづり中。誤字脱字の多さはお見逃しあれ〜。後日コッソリ直したりしています。

嫉妬した

 あまり嫉妬しないなんて書いたのは嘘です。すみません。ああ愚かなぱややんは早速嫉妬の炎に包まるる。
 友達を誘った某食品会社の某イベントで、混雑の事前情報を軽く考えて開場15分前に着いたら既に長い行列。しかも、ちょっと涼しい日でなければ多分断念しただろう通路チックなところで冷房なし、椅子は50席ぐらいしかなくほとんどが立って待つ状況。普通のサイズの扇風機がいくつか設置されている近くはさておき、配布された団扇頼みの蒸す蒸す蒸す〜と暑い。時間は経てど、列は進まず。が久々の友人と話しながらなのでさほど苦にならず。
 途中、前にいた一人参加らしい女性が飲み物を買うのに、私達に不在の間の場所を依頼して離席。どうぞと微笑みで送りだし、戻ってきたお礼も爽やかに受け止める。食べ物&お酒がらみのイベントで、待ちきれず途中調達?持参?の酒&おつまみで飲み始めている人たち、子どものハッスルフィーバー大声、何かが破壊された音と吃驚した悲鳴が響いたりもするも、全体静かで、みんな行列に慣れている感じがある意味怖い。

 途中で入場打ち切りがかかり、諦めて帰る人がいるせいか、自分たちの背後の列がどんどん短くなっているようで損した気持ちに。1時間経過ぐらいで、前の女性の連れの男性が参加。うむむ、一人参加ではなく幸せ彼氏と一緒なのね~→嫉妬。その後男性1名追加→女一人に男二人、なんて素敵な充実人生中!!→嫉妬。男性1名追加。男性ばかりに女性一人→嫉妬。女性一人追加→おお女性友達もいたのか。男性1名参加→途中参加の持参の酒で飲みが始まり、つまみのポップコーンとかの臭いがぷ〜んと漂う→NO嫉妬。というか、途中から参入者が多すぎじゃないかと不服。
 二時間以上経過後、行列の前の方に設置されたパイプ椅子エリアに辿り着け、やっと座れてああ楽ちん。が、食べおわって退出する客ごとに、待たされ客が入場できるシステムで、標準二人づつの移動になる。1人掛け椅子が横に2つ並んでいるため、壁側椅子に座ると、1列前の席に進むのに並んだ椅子分ちまちま横移動も多くせねばならず、横着乱暴者ぱややんはモーゼの如く(モーゼ様お許しあれ)椅子の間を割り入り縦に進む。いっそ椅子は1列1席分で並べた方が移動が楽でないかとつまらないこと考える脇で、友達はだまって椅子の間を開けてくれる手助けをしてくれていた。友達ごめんね。(今更反省中)
 入場待ちな列の横におしゃれ系なおじさん(企業の広報?担当者)が登場し、手持ちのカメラでイベントの記録のためらしい撮影を開始。前にいる賑やか若者グループに注目、撮影&インタビューをスタート。「もう凄い待っていますよ」と嬉しそうに模範回答する言葉が一部聞こえる。→「君たちは長時間は待っていないだろう!!」(一応小声で友達に愚痴る)。さらに男性1名追加→「5名も後から横入りとは悪すぎない?」友達にまた愚痴る。
 3時間過ぎてやっと私達の入場に。食べ物&酒を胃の腑に入れられた幸せを噛みしめる。が、近くで先に入った若者グループが食べているテーブルや注文品を受けとる場所でも楽しそうな様子を取材されている→嫉妬。
 ちなみに友達は冷静で「いかにも楽しく盛り上がっている若者だからだよ」。若くない私達はもちろん撮影スルー。ああまあ、イベントの企画側としてはそれはそうだと合点。
 もう気にせず食べようとしたら、私達テーブルのカセットコンロのガス切れで火が消えているのが発覚。あらまいつ消えたか分からないから生焼けかも疑惑に。適当に追加加熱したら、ちょい焦げ過ぎてブロークンハート。でまあ楽しく、もたもた食べていたら制限時間があっという間に到来。スタッフさんに優しくオーバータイムを注意されて慌てて口に詰め込み席を立つ。と友達「彼ら(前にいたの若者グループ)はちゃんと制限時間の前に席を立っていたよね」冷静に呟く。ああ、制限時間を守らない私達こそマナーにルーズ。
 実は最初に5分遅れて来た友達が「後ろに並ぶ」と言うのを制して「一緒に並ぼう」と言っていたのは私。レベルは違えど若者グループと同罪。なのに嫉妬に見ぐるしい(ノーメイクな横着中で見た目も)悪ぱやややんをお許しあれ。只今反省中。

不審者と呼ばないで

優柔不断人生。買うか買わないかの判断がなかなかできず、手に商品を取って見ては悩み、棚に戻しては悩み、買うかと手にとって一度離れて、また棚に戻して悩み、がやはり手にしてレジに向かう途中でまた棚に戻って悩む、という挙動不審な客のため、気が付くと近くに店員さんがいて、見張られることの多い。が、そのわりにいざ買うときによく商品を見ていないので、ブランドに悩んだ無塩バターが賞味期限切れ間際の商品だったり、コーヒーなど無糖派なのに隣の加糖タイプを選んでいたり、全然別タイトルのコミックだったりと、我が人生何かが間違っているような。
 最近の危険な誘惑はお巡りさんの凝視。だって海外ドラマ好き、しかもミステリー系ドラマ、活躍する刑事が好きなんだもん。で、が転じて世界&日本の警察関係にも萌えの気持ちをいだくことに。海外&国内の旅行先で交番&パトカーを激写。お巡りさんはさすがに怒られそうなので、じっと見つめるだけ。ああ、お巡りさんの装備は警棒、腕章はそんなん、自転車の後ろの箱には何が入っているかしら? あのパトカーはホンダ、あれはトヨタ、おお護送車、警察署内で白バイの練習も心で感動!! 警察署前の立ち番のお巡りさんの鋭い眼光も素敵!!なんて、ただのミーハー視線なので寛大な心でお許しください。
 無念だったのが多分人生唯一のNY旅行で、観光ツアーに参加したとき、移動のフェリーの中で時間差でトイレに行ったおばさまが「トイレの場所が分からなくてお巡りさんに質問したら、手をつないでトレイに案内して貰ったわ」という話を聞いて、うむむ、私もトレイの場所を探すのに苦労したが自力でいったのに、お巡りさんに話すチャンス&手をつないだなんてうらやましい~。普段嫉妬心を持たないタイプも珍しくジャラシーに燃えたぎる。さらにそのツアーで移動の車中で、NY警察本部のビルを通ったらしいのに、私気がつかず。ツアーの皆さんに「ええ、見なかったの?」と吃驚される。ツアーの解散後、一人地図見て警察本部を探すが、場所的にはとても近くを歩いているのに、周辺の工事中と致命的な方向音痴のせいでたどりつけず、やがて暗くなってきたので一人歩きは断念。ああできたらもう一度NYに行って警察本部が見たいよ~。

 最大のピンチというか不審者だったろうな思い出は、別の国からの移動中の出来事。飛行機で友人が一緒だったので3人掛けシートの真ん中席に座り(一人旅の場合通路側希望も窓側席希望の友人を尊重したため)、機中の電気も消されて、暗くなった寝ろタイムに尿意で眠れないぱややん者一人もじもじもじもじ中。通路側には体の大きめな西洋人の男性が寝ているのでトイレに行けない。が、幸運にもその方が目が覚めたようなので、声を掛け席を通らして頂く。トイレで幸せ噛みしめた後が不幸の時間のスタート。隣の席の方、今度は熟睡。寝ているのを起こすの悪いような、いやいや立っているわけにはいかないので、肩をそっとゆする→寝ている→そっとユスル×2回→寝ている。わりと強くゆすら→寝ている→声をかけてゆする→寝ている。暗がりの機内の通路で一人たたずむぱややん。機内スタッフの方も通らない魔のお休みタイム。いっそ飛び越して座る? いやいや周囲への迷惑。思い切って叩いてみる→やっと目が覚めてくれた隣の方は眠そうな目で立って、私を通してくれて、無事席に着ける。
翌朝、隣の席の友人に怒られる。「あんた夜の間ずっとそわそわそわそわ落ち着かなかったよね」 眠りの邪魔を相当していた模様。
 なるべく飛行機では通路側を取るよう努力しますが、今後も万が一隣に座ることになった方々、緊張するとますます夜にトイレに行きたくなるぱややんをお許しください。

また、またまたまたまたまた忘れて

 最近過去ネタばかりのぱややん日記の救世主か、最新のぱややん事案発生なう。が、報告したぱややんの名付け親友人曰く、ぷちあるあるネタだよねと、既に何度も有ったのに回数も忘れ果てた残念案件は、枯れ葉でも乙女心的にも残念なノー乳バンド外出。しかも、乗り換え駅の途中で気付いたなんてのも吃驚。病院の予約に遅刻しそうで慌てていたから、ああ内診が無くて良かった。黒いタンクトップ愛用派なので他人様のお目汚しにはならなかったはず。
 が、実は先日も、近所の買い物途中にふと足に違和感。なぜならば左右種類違うサンダルを履いて闊歩中だから。これもまた、よくあるあるぱややん案件なので、わりと家の近所で発覚もそのまま外出を強行。
 思い返すと、ややうら若き頃、昼休みに外出しようとふと足下見たら、黒い紐靴、形違いの靴を左右それぞれ履いているのを発見。当時は本当に恥ずかしく、早く勤務時間か終わらないか祈るのみ。が、その後、終業後、会社のビルから足を道路に踏み出した時のソフトな着地感で、オフィス履きのスリッパのままを感知。また、その後、郵便局へのお使いの途中でもスリッパなままな所業発生。常態化の悪夢というか堕落に慣れるのは簡単〜で、やがて、近所への買い物ぐらいはそのままスリッパ、帰宅時は流石に履き替えに戻るがスタンダードに。

が、今日の慌てて外出にも幸い有り。診察券など大切な小物を複数を鞄にキチンと仕舞う暇がなく、とりあえず小物ポーチに入れて家を出立。病院の受付で、まさかな行方不明で室内を大捜索も見つからず諦めていた領収書発見。無くしていたことを気が付いていなかった銀行通帳も発見。

ああ来世ではキチンとした人になりたいなと願い中。

不在の存在感

 先日も述べた通り、パイナップルがかなり好き。小学生の頃、近所のパイナップルの木に早く実がならないかと期待していたが、永遠に実ることがなかったのは蘇鉄の木だからで、幹がパイナップルに似た感じからの勘違い。その後歴史の授業で厳しい年貢の取立てたに食べるものなくなり蘇鉄を食べた沖縄の人の話に涙。空腹に毒抜きを待てず食べてお亡くなりになった方もいたそうで、その植木の蘇鉄を見る度なんともいえぬ気分に。
 パイン飴も、ピニャコラーダも好き。そして今や不人気で絶滅寸前メニューの酢豚withパイナップルも大好き。友だちお薦めの美味しい中華料理屋さんで、メニューに見つけ喜び注文して出てきたのは「すみません、今日はパイナップル切らしてました」とパイナップル抜きの只の酢豚。ガッカリマイハート。だって実は豚肉があまり好きでなく、パイナップルが無ければ別の料理を注文したのに〜。
が、その後、居酒屋でクレソンサラダを注文したのに「クレソンを切らしてしまい」とクレソン抜きのクレソンサラダを出されたことがある。皆が程よく酔っ払いで、「もう用意されているなら、まあいいよ」と受け取ってしまったので不満ながらも文句を言えず。
 これらのメインが不在の料理はお店側の明らかな原因だが、メロンソーダにアイスクリーム、タンメンにわんたんが浮かんでいないのは、お店のせいではなく、まだ外食に慣れていなかったうら若きぱややんの勘違いのなせる技。ああ、タンメンは好物になったが、アイスのないし、メロン味も一つもしないメロンソーダは未だに恨み中。
タコライスの蛸の不在も初めての時は衝撃的もまあ今ではやや好きな料理に。

 困ったのは、たまに香りのアレルギーがあり、部屋に置く型、タンスに入れる型防虫剤を無香タイプにしたら、なんだかとっても体調不良に。香料がない分、薬効成分がより強いのか、相性の問題なのか不明。某メーカーが一時期、蛙型の防虫剤を出した際、使い始めて直ぐ断念、が、優しい知人に無理無理?渡して、使い終わった蛙の容器だけ回収なんて迷惑な話。

わりと撮影好き派。不在の写真のマイベストは、友だちが乗り遅れた飛行機の座席シート写真。友達は強者で新幹線にも乗り遅れた経験あり。
 が、私も特急に乗り遅れたことあり。が、幸か不幸か大雨の日で特急が遅れて、後からの普通電車で無事合流。が、その後も遅延しまくり目的地に予定より遅れて到着。1泊2日な帰りの特急も大遅延。当時遅れた場合の特急券の払い戻しを知らず大分後から知って無念。
 実は当日旅行中ならPHSは不要だろうと家に放置、心配する友達からの電話で、PHSが鳴ったり光ったりにオロオロした母。帰宅後は母から「旅こそ電話を持ち歩くように」と適切というか常識的指導あり。不在のバカ娘の所業を今更ながらお詫びな心境。
 

弱り目にパイナップル、カレーのご飯にもしてやられ…

 頭痛の思い出は、小学生の冬、一週間以上続いた頭痛に閉口、が、なんとビックリ、お正月にお酒大好き母方の爺ちゃんに勧められて飲んだお屠蘇ならぬ日本酒がいい感じに反応して、頭痛霧散な幸せな思い出に。
 長じて再び頭痛なある時、そうよ酒よとグビッと飲んだが、勿論頭痛は治らず。
 以降、痛くなったら頭痛薬、飲み過ぎて只今胃痛&胃薬ともお友達中。
が、油断ばかりのぱややんは、普通に食事しまくり。先週の土曜日は、習い事の先生提供な有り難きおやつタイムのデザートを食べたら猛烈に腹痛。ややや、許すまじは皆より多く食べたカットパイナップルへのマイ食欲。練習後の打ち上げも断念して帰宅。ネット情報の牛乳を飲むべしを試したら、あらま、スパシーボ効果かもしれないが腹痛おさまる。パイナップルの消化酵素対策には乳製品がお薦めよん。

 翌日、朝から腹痛がちょっと残るも外出予定を強行。ライブイベントは昔ながらの素敵日本家屋な会場で、カキ氷にマッサージ、焼き菓子、ホットドッグなどなどオシャレカフェ他いろいろお店の出店有り。炭水化物大好きぱややんは、友だちも選んだ二食盛カレーを選択。
 暑い日には辛いスパイシー料理が最高だぜ!! なんて結果は、ご推察の通り弱った胃にはキリキリ滲みるぜ〜。オマケにそのお店の人ったら計量カップ忘れて、水の量を適当で炊いたらしくご飯がハードに硬くて、胃にはダブルパンチ。ああカレーは飲み物ではなかった。頭痛も仲良く発生して会場で寝込むヘッポコな結果に。
 だってカレーを食べたかったな欲望に負けたその日の帰り道、思わぬ渋滞で、トイレを極限まで我慢な目にもあう。ああ、ドライブ中やかましく話すぱややんを黙らすにはトイレのピンチがお薦め。
なんて本当につまらないネタですみません。

先生と呼ばないで その2というか渋谷の思い出

昨日書こうとしていて、うっかり忘れたのは、だいぶん昔の渋谷での出来事。飲み会の待ち合わせに遅れる気味で井の頭通りを急ぎ歩くぱややん者を呼び止めるはちゃらい兄さん。
「美容院の者ですが、メークに興味はないですか?」
 夜の渋谷なんて綺麗&スタイリッシュ&うら若き乙女達がそこら中にいくらでも闊歩しているのに、ノーメーク&ノーヒール&適当な服装&うら若くないぱややんをまっとうな美容室の関係者が呼び止めるなんてことは絶対無い。
「先生ですよね?ちょっとだけ、そこの美容室で・・・」と陽気に話しかけるちゃらい兄さんからブラウスにスカートな装いからか教職と判断されたみたい。
「急いでいるので」と礼儀正しく通り過ぎようとしたら、ちゃらい兄さんはなんと私の肩を掴んで、話を続ける。
「用事があるので~」と自慢の逃げ足発揮でぱややんは坂道をすたこらと走る。耳に聞こえるのは「先生ったら、先生~、先生~」と多分半分面白がって大声で呼び続けるちゃらい兄さんの声。
 都会の街は怖い。あのまま美容室に行ったらどうなっていたのかしらと今でも不思議というか殺意。化粧品を売りつけるとかの詐欺だったんだろうなあ。

 渋谷の大声というと、思い出すのは、本当にうら若き乙女の頃、音楽ライブで何か良いこと有って、その日来れなかったライブ友達に電話で報告。当時は携帯なんてなくて、公衆電話を利用。興奮した通話が終わって公衆電話ボックスから出て来たぱややんを待っていたその日一緒だった友人が語るには、「電話ボックスのドアを開けたままのあんたの大声周囲に筒抜けだったよ。拝む人が後ろから近づいて「幸せそうですね」と呟かれていたよ」。電話ボックスのドアは記憶曖昧もおそらくその日一緒だった友人に気を遣って開けていたのかな??
 当時繁華街には、「幸せを祈らせてください」といって通行人に近づいてきて、祈ってくれる謎の、多分新興宗教の布教?の人たちが多くいて、なんだか彼らにあきれられたのか、ほめられたのか?謎の思い出。

 

 

先生と呼ばないで

 先生と呼ばれることが度々あった。外国の方と話そう会に顔を出していた頃、参加者の外国人のみなさんは日本人参加者を日本語の先生と思っていたらしく、「先生」と呼ばれ、日本語学校の宿題や、文法の説明となると難しい日本語の質問をされて、「先生ではないのよ、ごめんなさい」な申し訳なさ感でいっぱいになり参加しづらくなって、フェードアウトな思い出。
 友達の甥っ子の家庭教師をしていたことがあり、当時は小学生低学年だった甥っ子さんと、大人になって再会。当時のまま「○○(なまえ)先生」と呼ばれて、なんだか照れくさいやら、成長してすっかり大人で素敵ハンサムになった様子に涙腺ゆるゆる。
 が、なにかしら役に立つかと、大学で教職課程を履修していたので、先生と呼ばれて正解な時期もあった。その名前は教育実習。そう、周囲の皆が口を揃えて、あんたのその才覚で教育実習‼と吃驚される。実際のところは、皆様のご推察の通り。

 実習先は卒業した母校で科目は国語。嫌だったろうけど断ることはできなかった母校の善処(苦慮)で教えられる方·教える方も被害が少なかろう中学1年生に配属(友だちに高校生だったら無視される、まだしも、いじめられちゃうわよと心配されていたので、母校の配慮に深く感謝)。

 ぱややんティーチャー奮闘記というかトホホ始末記。初日から指導担当の先生に怒られたのは黒板の字が汚いこと。漢字の書き順、書き間違えは、生徒への悪影響が心配と呆れられる。僕という字の「美」の部分に余計な縦棒一本あるかと思い込んでいた。担当学級の生徒の名前を覚え切れず、朗読の指名したら、その学生さん困惑。「先生、私の顔を見ているけど、名前が違いますよ」。ぱややん先生ったら、座席表の三列目の生徒の名前を読上げたが、正解の生徒さんは二列目に座っていたのであった。
 ああ、こんな先生の授業で、生徒さんは大丈夫かしら? と心配の皆様ご安心ください。要領の良い生徒さんは熟睡タイムに。ああ、荒れた教室にならずにすんで本当によかった。
 授業が終わった後は掃除も指導。が、生徒のみなさん適当に手を抜いて、注意しても聞く耳持たずで、掃き&拭き掃除に孤軍奮闘。意外に吃驚したのが、期間中に保護者面談が有って、担任どころか教師でもない大学生なのに、親御さんからの真剣な相談を聞く体験も。親御さんの子どもを思う真摯な気持ちに申し訳なさ1000%。ちょっと嬉しい&恥ずしなのは、校内行事の合唱祭があって、先生部門でわしらなんちゃって先生達も一緒にステージ参加で歌うはめに。

 2週間の実習はあっという間に終了。最後の挨拶で、なんとなくなじんだクラスの生徒さん達とのお別れにしんみり。「先生恋人いなきゃ紹介しようか」なんて親切な提案する生徒さんもいて良い感じに盛り上がり。

「最後に写真をみんなで撮ってもいいかしら」と言ってカメラを控え室に取りに走る。みんなはその間、机と席を寄せて、全員集合な準備をして待ってくれている。教室に戻り、カメラを構えたら、あらま、なんということか、カメラのフィルムが入ってなかった。(当時はフィルムカメラの時代でした)。真実の告白タイム、学生さん達は、まあ笑って許してくれたが、一挙総気が抜け、あっさり解散に。

 同時期の教育実習生仲間は10名弱いて、みんな熱烈教師志望ではなく一応教職資格を取るだけな中、一人だけ「授業を教えるのが本当に楽しい。絶対教師になる」と天職を悟った仲間がいてちょっとうらやましかった。
 因みに私は教師は絶対無理無理と悟る。が、指導の先生から、「板書(黒板書き)がとにかく汚いから駄目。がなんか不思議な雰囲気があって、意外と良い感じかも」とちょっとだけほめ?言葉を頂く。
 一応私立学校の教員採用試験も受け(母校的に教育実習に来るのに本気の教師志望でない生徒は困るということで)、なんと都内の某私立校から筆記試験&採用面接のお声がかかり、トライするももちろん不採用。

 指導したいクラブ活動なんて質問もあり、文化系の非積極的クラブ活動しかしたことないぱややんは頭抱えた記憶あり。(現在とは違うと思うが、当時の東京の私立の教員採用試験は筆記試験を受けると全員に成績評定がついて、教師を採用したい学校はそのリストを見て、個別に候補者を呼び出し面接等する方法)
 教育実習後のしばらくは母校の近くを通ったり、街で母校の制服を着た学生さんを見る度に、元教え子にすれ違ったらどうしようと、なぜかびくびくしていた小心者のぱややん也。
 当時の関係者、母校&指導の先生、変な授業を受けるはめになった生徒さんに深く感謝とお詫びの心境は今でも継続中。

 

*推敲不足過ぎて、アチコチ修正をお許しください